北澤孝太郎(きたざわ こうたろう)
東京工業大学大学院 特任教授(MBAクラス営業戦略・組織担当※)
東北大学未来型医療創造卓越大学院プログラム特任教授(客員)
1962年京都市生まれ
1985年神戸大学経営学部卒業後、株式会社リクルート入社。20年に渡り、通信、採用・教育、大学やスクール広報などの分野で常に営業の最前線で活躍。採用・教育事業の大手営業責任者、大学やスクール広報事業の中部関西地区責任者を担当後、2005年日本テレコム(現ソフトバンク)に転身。執行役員法人営業本部長、音声事業本部長などを歴任。その後、モバイルコンビニ株式会社社長、丸善株式会社執行役員、フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 VPなどを経て、現在に至る。
営業幹部(役員や部長)や営業リーダーの教育の第一人者であり、営業イノベーションなどの分野でも、研修やコンサル、パーソナルコーチなどに多くの実績を持つ。特に優れた営業戦略・戦術を導く「北澤モデル」は多くの企業で活用されている。
北澤孝太郎
(十代目北澤萬右会門)
1962年京都市生まれ
1985年神戸大学経営学部卒業後、株式会社リクルート入社。20年に渡り、通信、採用・教育、大学やスクール広報などの分野で常に営業の最前線で活躍。採用・教育事業の大手営業責任者、大学やスクール広報事業の中部関西地区責任者を担当後、2005年日本テレコム(現ソフトバンク)に転身。執行役員法人営業本部長、音声事業本部長などを歴任。その後、モバイルコンビニ株式会社社長、丸善株式会社執行役員、フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 VPなどを経て、現在に至る。
営業幹部(役員や部長)や営業リーダーの教育の第一人者であり、営業イノベーションなどの分野でも、研修やコンサル、パーソナルコーチなどに多くの実績を持つ。特に優れた営業戦略・戦術を導く「北澤モデル」は多くの企業で活用されている。
著者にベストセラーになった「 営業部はバカなのか 」(新潮新書)、MBAクラスや多くの企業研修の教科書「営業リーダーのための教科書~営業戦略・戦術から人間力構築まで~ 」(東洋経済新報社)、人材教育のオリジナル参考書「 人材が育つ営業現場の共通点」(PHP研究所)、営業力が必要な全てのビジネスパーソンのトレーニング書「 営業力 100本ノック 」(日本経済新聞出版社)、「まんがでわかる営業部はバカなのか」(ゴマブックス)、「マンガ営業力100本ノック」(日本経済新聞出版社)、営業現場から企業や日本を正す「『場当たり的』が会社を潰す」(新潮新書)、人生の岐路で決断の参考になる「サラリーマン人生100本ノック プロとして働くためのトレーニング」(日本経済新聞出版社 )、授業やの教科書として使用されている「MBAクラスの営業の教科書」(徳間書店)、これからの営業部隊の在り方の指南書「決定版、営業部長の戦い方」がある。
中学・高校時代は、男子校で野球に没頭。中学では、レギュラーとして京都府下大会優勝の経験あり。大学時代は、心機一転、とても硬派な体育会空手道部で4年間を過ごした。あの人材輩出の激しかったリクルート社で同期最年少の課長・部長となったが、組織の壁にぶつかったことをきっかけに、キャリアカウンセラーの資格を取得。コミュニケーションやコーチングなどにも興味を持つようになった。趣味は、キリマンジャロ登頂に代表される登山を筆頭に、江戸小唄の名取や東京北ロータリークラブに15年以上も皆出席するなど多彩である。
※ 営業の授業は、大学・大学院で日本初、現在も唯一である
詳細プロフィール
京都の旧家(呉服商)の十代目として生まれる(父が、呉服商を止め、写真商に鞍替え)
ヴィアトール学園洛星高校卒業後、神戸大学経営学部入学
高校時代は、野球一筋で、春の選抜では、あと一回勝ったら甲子園というところまで勝ち進む(巧足巧打のセンター)
大学時代は、勉強はしなかったが、なぜか、当時の経営学部最人気ゼミ(マーケティング、流通システム論)田村正紀ゼミのゼミ幹として活躍
株式会社リクルートの制作担当(コピーライター)として入社
全社をあげた新規事業である回線リセール〈通信〉事業の営業担当となる(関西担当)
86年の2月には、江副氏より、神戸開拓を単独で任される
東京へ異動となり、新規開拓部隊の切り込み隊長となる
通信事業で唯一の新規開拓部隊の課長になり、本格的に新規営業とは何かを考え始める
新規開拓課に加え、女性のみで構成された受注後のフォロー部隊、代理的などを開拓する部隊を兼務するなど、通信事業の新規営業の代名詞的存在となる(優秀経営者表彰3回、うち1度は懲戒(譴責)により辞退)
活躍している者同士をチェンジする海彦山彦人事の第一号として本業のHR事業へ異動
いきなり日本のビッグビジネス企業(大手企業)への採用・教育事業の営業担当となる
大手企業への採用・教育事業の営業責任者(エクゼクティブ)となり、大手企業のリクナビ装着、就職ジャーナルへの掲載に奔走する
転職斡旋企業であるリクルートエイブリック(現リクルートエージェント)に異動し、中途採用事業の変革に関る
多くの年上の部下を持つという貴重な経験をする
学び事業(高校生の大学進学と「ケイコとマナブ」に代表されるスクール事業)の中部地区担当(東海・北陸)になり、今でも使われている高校生の「募集ブランド力調査」を企画、 学び事業を大きく変革する間、中部大学人文学部コミュニケーション学科にてキャリア学の非常勤講師となる。キャリアや就職について教鞭をとる。その後、関西地区も担当となり、生徒募集に苦労していた有名大学・専門学校の広報・ブランド構築に多く関る
当時 日本テレコム株式会社(現ソフトバンクテレコム)の社長 倉重英樹氏 副社長 富村隆一氏の誘いで、ソフトバンク興隆の二番目のPJ おとくラインプロジェクトに参加 第一営業本部長(東名阪の法人営業担当)に就任
全国の技術サービス部隊も兼務し、部下1000人を経験する
執行役員 営業本部長となり、その後 執行役員 音声事業本部長を歴任ソフトバンクの孫氏、元日本HP社長小出氏などから直接薫陶を受ける
知人田中氏の支援を得て、モバイルコンビニ株式会社取締役社長となり、モバイルショッピングの新しい仕組み(QRコードの持ち主を、購買で支援する仕組み)を構築する
大田市場などと提携 フランチャイズ1300店(QRコード)
リーマンショックを乗り切るため、豆蔵傘下のオープンストリームの支援を得て、株式会社モバイルコンビニ副社長に就任 モバイルの超狭域広告モデルを構築する
就任当初の約束通り、事業を腹心の部下に任せ、丸善株式会社執行役員に就任 知識創造プロセスを使ったラーニングコモンズを大学図書館に格納する新規事業に取り組む
担当事業は順調であったが、翌年、新システム構築に失敗した小城武彦チームの解散(新システム構築の不成功)により、執行役員を退任
フライシュマンヒラードジャパン バイスプレジデントに就任 今までの得意領域である組織変革、営業イノベーションを手掛ける 講演・研修実績として、大手通信会社、大手製薬会社、大手流通会社、大手自動車会社、老舗健康食品会社など多数経験を残す
「営業部はバカなのか」が縁で、兼任で、東京工業大学 大学院理工学研究科 特任教授に就任。MBA科目である「営業戦略・組織」を担当し、大学院生に営業の重要性とその面白さを教える。これは、全国の大学で唯一最初となる「営業」の授業である。
兼任で採用アウトソーサーの最大手 レジェンダコーポレーションの取締役に就任。人事部長の「想い切り」トークのインタビューアとしても活躍。(~2022年1月)
大手企業役員研修・営業リーダー研修・工場長研修、中堅中小企業社長・役員研修、・営業リーダー研修、東洋経済新報社や日本経済新聞社主催の講演など多数の実績を上げる。
東北大学未来型医療創造卓越大学院プログラム特任教授(客員)に就任
株式会社フォーサイト 社外取締役就任
東工大から移籍された飯島先生からの依頼で、東京理科大学経営学部国際デザイン学科の3回生を対象に「営業を科学する」という授業を担当